日の光が痛いほどに眩しい。
光が溢れすぎるこの世界は……まるで闇だ。
眩すぎて。
虚飾に彩られ。
何も見えない。
(すごい大所帯になってるし…)
黒曜との一件がなんとか落着し、戻ってきたダメライフを、俺は満喫する……はずだった。
ところがどっこい。
親父がいきなり帰ってくると知らされたのは昨日のこと。
死んでしまっている、と思い込んでいた父親の帰還。
今更何を、という思いが俺の中で渦巻く中、翌朝、補習を受けるため学校に向かう道すがら、俺は獄寺くんと山本へと口を開いていた。
鬱憤を晴らしたい、という思いはなかった…といえば嘘になるのだろうか、やはり。
小さい頃はよくわからなかったけれど、今考えるとおかしなことばかりの父親が、二年間も家を空けておきながら今更帰ってくるという。
自分一人で抱えるには少々息苦しい事態が差し迫っていた。
だから…誰かに話して、楽になりたかったのだろう。
ただ聞いてほしかっただけ。
友達に。
山本に、獄寺くんに。
それだけだ。
ただ、それだけ。
……それだけ?本当に?
…小言弾によって超死ぬ気モードが開花してからというもの、腸の裏側辺りから燃え続けているような熱を感じる。
何かを急かすような。
性急に何かを求めているような。
言いようのないストレスが最近の俺の唇と思考を緩ませている。
…ああ、しかし。
みんなで集まって遊びに行くことになったのは、よかったかもしれない。
いい気分転換になるだろう。
そうして、スッキリ、このよくわからない衝動を消し去れればいいのに。
内臓をかき回すような、気持ち悪い衝動など溶けて消えてしまえばいいのに。
――予感がするんだ。
何かが終わり、何かが帰ってくる。
何かが始まり、何かが消えてなくなるのを。
煮え返るように熱くなる臓腑の奥底で、誰かが嗤っている。
俺の中で。
誰か。
誰かが。
テーブルを挟んで、缶に手を伸ばせば目の覚めるような冷たさが俺の意識を保っていて。
京子ちゃんが微笑んでくれる。
それだけで俺は幸せな気分に浸れる、はずなのに。
何を危惧することがあるというのだろう。
この世はこんなにも……こんなにも安穏とした一面を持っているというのに。
「ねえツナ君」
「えっ」
表面上では、京子ちゃんに褒められている(ような気がする)ことに舞い上がっているはずなのに……腸を焼く炎が面積を拡大しているようで…気持ちが悪い。
「何の音だろ?」
肥大する。
「え?」
膨張する。
舞い上がるような芯からの熱さに目が眩む。
脳を痺れさせる凝り固まった熱に意識が暗む。
遠く響く地鳴りのような爆音に、俺は視線を上げた。
気持ちが悪い。
ああ、気持ちが悪い。
くすくすと偲ぶような微笑が体内で木霊する。
嗤うな。
何を嗤う。
誰が?
俺の中で。
俺の中?
俺の中には
俺しかいないではないか。
俺は、何かを忘れている?
「忘れているわけじゃねえ。鍵を掛けられただけだ」
地を叩き割るかのような激しい破壊音と共に崩れてきた瓦礫の中、俺は襟首を何かに掴まれて足を宙に浮かせていた。
もうもうと立ち込める砂塵。
鼻腔に入り込む埃と煙のダブルパンチ。
…しかしその中であっても、俺の目は、耳は、口は、意識は――消して閉じようとはしなかった。
「ちゃんちゃらおかしい平和ごっこは楽しかったかぁ綱吉?」
白でもなく灰でもない、美しくもなく汚らわしくもない煙の中、背後から俺を引き寄せた人間が低く問う。
姿は見えない。
だって、自分の手足すら見えない。
白い闇だ。
真の闇の中では己の身体の有り様すら見えない。
指を動かしたつもりだけど動いているのかなんて知らない。
まるで、どこか、深くて暗くて何もない、井戸より深い穴に落とし込まれたかのように。
……なんだろう。腹の熱が増す。
どこかで……同じような体験、を?
どこ?どこか?
どこで。
いつ。
だって俺は。
平凡で凡庸で平和な生を与えられ、享受し、切望する道を――。
「XANXUSからの言伝だ。『惨めったらしく死ね』だとよ」
ふわん、と風が舞い降りる。
砂塵を裂いて、空気を割って、俺を、俺と誰かを中心に円を描くように。
同時にヒュン、と空を切る音が鼓膜を叩く。
網膜に焼け付く鈍い銀色。
「濁った白い闇にじわじわと殺されるか、純正の黒い闇に即死を望むか……お前はそれを」
ふ、と大きく吸った息を吐くと共に濁りが払拭された。
現れた眼光は……濁った白の澄んだ鋭さ。
「選ぶこともできない」
長い、長い、キラキラ光る銀色の髪。
全身を覆い隠し、空気から己を阻害するかのような印象さえある黒衣。
振りかぶったままの腕の先には現実味を帯びない、俺の日常からはかけ離れた武器が備え付けられている。
あれが、空を切ってこの闇をかき消したのか。
ゆっくりと切っ先から視線を滑らせ、それを携える人へと向き合う。
目が。
視線が。
合う。
まるで憐れむようなソレ。
―――ふふ、気に入らないね。
「鍵?」
「そう、鍵だよ」
ふわりと、浮かせていた身を地へと降ろし、フードで遮られた目を俺へと向けながらマーモンがその小さな口を開いた。
「彼が今の今まで心の拠り所としていたものに再び出会うことになれば……閉じられた蓋は容易く開かれることになるね」
拠り所。
こいつに、拠り所などあるのだろうか。
闇の底から連れ出された綱吉は、今、血に濡れるように真紅の絨毯に沈んでいる。
閉ざされた瞼に、こんな顔も出来るのかと思わずこっそり息を呑む。
「もしそれがそこらへんにあるようなもんだったらどうなる」
「すぐに出てきちゃうんじゃない?まあ、それが何かなんて僕の知ったことじゃないけど」
面倒な、と漏らせば、何かを始めるには終えるための条件が必要になってくる、というのは当然だろ、と淡々と返された。
プイっと顔を逸らしたマーモンは、後ろ、部屋の奥で己の椅子に腰掛け、高々と足を組むXANXUSを振り返り。
「これでいいの、ボス」
「ああ。下がれ」
「報酬はいつもの口座に」
「ああ」
言いながらとことこと歩みを進めたマーモンは扉をくぐり様言葉を漏らす。
「詮索をする気はないけど……一体どこまでが計画通りなんだい、ボス」
答える声はない。
ただ……ニヤリと歪んだXANXUSの唇に、悪寒よりも納得が浮かんだ。
「……こんな封印まで施して、こいつを今更沢田の家に帰すなんざ……一体何を考えてる」
「封印?」
頬杖をついていたXANXUSは腕を解き、組んでいた足もドンと地に着けながら「ハッ」と吐き捨てるように息をついた。
「封印じゃねえよ」
論点をずらされていることに気付きながらも、修正する気はなかった。無駄だからだ。
一度で答えなかったことに食い下がったところで時間の無駄だということは経験上心得ている。
「封印じゃない?だが、こいつの狂気に蓋をしたんだろぉ」
「……今後、俺が命ずるまで、こいつとの接触を完全に絶て」
フンと鼻を鳴らしたXANXUSは蹴り飛ばす勢いで席を立つ。
運んでおけ、と顎で綱吉を指しながら、マーモンが出ていったものとは反対の、己の部屋へと続く扉へ足先を向けて。
「これは封印じゃねえ。―――呪い、だ」
至極楽しげな口調を、ずいぶん久方ぶりに耳にしたような気がした。
何かのスイッチが入ったかのように、綱吉の目、瞳、瞳孔の奥底に赤い炎が灯る。
未だもうもうと辺りを巻く砂塵の中でさえ、主君を思わせるような、けれどどこか違う、鮮烈な赤い色。
「―――やっぱり、あんたのせいで俺は闇に溶け込めなくなる」
せっかくぬるぬるした白い闇に紛れて溶けて、消えられると思っていたのに。
言葉では彼を、スクアーロを非難していながらも、綱吉の唇は楽しげに弧を描いていた。
襟元からパッと手を離したスクアーロに向けて指を伸ばし、ひったくるように胸ぐらを引き寄せる。
さしたる抵抗もなく傾ぐ身は、ただ綱吉の出方を見つめていて。
「『俺』をあのちっちゃな術士に封じさせて、ぬるぬるした世界に放り込んでおきながら…今更なんの用だっての?」
ん?と首を傾げた綱吉は『ツナ』の折にまとっていた平凡さを完全に潜ませ、色気さえ孕んだ目つきでスクアーロを見上げた。
貪欲に、何かを欲する乾いた笑みでもって。
「……聞きたいことは何もないのかぁ」
「聞きたいこと?俺を目覚めさせる鍵はスクアーロだったのか、とか?何故あんたたちが何年も動かなかったのか、とか?俺に何をさせたいのか、とか?」
指を折りながらつらつらと挙げ連ねていく綱吉の様子は、まるで数年の平凡な日常を経てきた『ツナ』そのものだ。
一見、何事も変わりない。
コロリと丸い目つきもやけに色艶のよい唇も。
けれど。
「どーーーでもいいよそんなもの!」
あは、と一言。嗤いを零しただけで。
「わかっていることはたったひとつ!!」
爛々と。琥珀の瞳の奥底を覗けば、滴る赤が蠢いていて。
「再び、俺の世界が俺の前の帰ってきたのだということ!」
嬉しそうに俺の首へと手を這わせる。
常人より少々暖かいはずの掌なのに、俺に与えられるのは悪寒と……何故か、どこか待ちわびたような渇き、で。
伸びてきた白く細い指先に、幻想の血が滴るのを知る。
なんということか。
惑っているはずなのに……心はひどく平坦で。
真正の闇、鳥籠の呪縛は……
「さあスクアーロ」
こいつだけでなく
「堕ちたもの同士、生臭く傷を舐めあおうか?」
俺にまで及んでいたのか、XANXUS…!
「手始めに、甘美な裏切りから始めよう。そのためにあの臆病な男は俺をこう仕立て上げたのだから」
片手の掌を天に向け、仰ぐ綱吉の目はゆっくりと左右に揺れていた。
何もかもを壊したいと望む衝動。
壊してこそその価値を知れるのだと嗤う律動。
全ては遊び。
全ては戯れ。
奈落を巡る幼稚な遊戯。
「あんたは一番最後にとっておいてあげる。あんたのせいで俺はどちらの闇にも囚われることができなかったんだから。責任とってよね」
一瞬力の篭った指先が気管を潰す。
が、さっと緩められた掌が這い上がって、撫でるように頬をくすぐった。
指の腹で、ゆっくりと円を描いて。
「あんただけが、俺の世界なんだから」
スクアーロ。
にっこり嗤う手を、俺は忌々しくも取るほかない。
こいつを完全に野放しにするわけにはいかないからだ。
あいつの――XANXUSの計画のため。
手綱を握る者が必要なのだ。
そのために……俺もまた、XANXUSに調教されていたのか。
ああ、なんだ。もうなんでもどうでもいいではないか。
俺まで闇に漬け込んでいたという事実に直面した今でも、奴に裏切られたとは思えない。
その所以は…………。
俺がソレをどこかで望んでいた節があったからなのかもしれない。
カウント1